
どうも魔女ねーさんです。
私は ちょっと痩せっぽちな子供でした。 めったに風邪などひかない健康な方だったと思うのですが、
時々高熱を出すことがありました。
その時の養父母の話しをします。
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病気の時に親には放置
高熱が出る
小学校の頃、体が弱いわけではなかったのですが、精神的な不安なのか、夜尿症が治らずに困っていた時期があります。
でもその他は活発で病気らしい病気もなかったように思います。
ただ本当に小さかった時に風邪をひいて、母が看病してくれたことを、ぼんやり覚えています。
父に何かしてもらったことはありません。
いつの頃からか、1年に1度くらい高熱が出て大変だったことがあります。朝何だか熱っぽくて 学校へ行くのがちょっと辛い時に、「行きたくない」というと
母が「学校へ行ってダメなら帰って来なさい」と言われるのです。
仕方なく学校へ行くのですが、我慢して授業を受けていて、1日耐えていたこともあります。
保健室で寝るという選択肢もあったのかもしれませんが、当時いじめに遭っていた私は 病気というと仮病だろうとまたいじめられるので 我慢していたのです。
あるときは 先生が授業中私の横を通り過ぎた時に 熱い!と異常な高さの熱を感じたのか、おでこに手を当てて 慌てて保健室に運び込まれました。39度くらいあったのです。
普通の生徒は親に連絡して迎えに来ることが多かったのですが、
養父母は共働きだった為に 「仕事でいないから」と家への連絡はしなかったのです。
それに 熱が出たからと 連絡などしたら、父からまた嫌味を言われる。
子供ながらにそんな事を考えていました。
保健室の先生は水枕を作ってくれて、放課後まで看病してくれました。でも保健室の布団はちょっと寒くて、震えながら寝ていた記憶があります。
でも 誰かが面倒見てくれるのは気持ちのいいことでした。
そして 放課後家へ帰るのです。
自分で治す
熱が出た時は急いで帰ります。
ひいおじいちゃんがいる頃は水を持って来てくれたりしましたが、高齢なり身体が思うようではなくなるとそういう事もしてもらえず、
ひいおじいちゃんが亡くなってからは家へ帰って自分で布団を引いて 寝ているのです。
ちょっと 動けそうな時は自分で水枕を作りましたが、40度近い熱の時は何もできず、そのままただ寝ているだけでした。
二女の姉から熱がある事は聞いていても 誰も来ません。
時々心配になった母が気にかけるのですが、父にほっとけ
としかられるので ほとんど来たことはありません。
「食べたくないなら食べさせるな」父の声
なので ただひたすら寝て、汗をかき、汗を拭いてまた寝る。その繰り返し。
酷い時は翌日も寝ていました。ひとりで。
大きくなってから風邪で病院に連れて行ってもらった記憶はないのです。
何度かそんな事を経験すると、もう自分で治すことにしようと思うのです。寝て、汗をかいて、また寝る。水枕も自分で替えるのです。
実子との対応の差
長女はもう高校生で大きかったせいか病気で寝込んだところは見たことがなかったです。そしてすぐに就職して家を出てしまったので
しかし 二女の病気の時は異常でした。、
ちょっと熱があるというと「病院だ」「布団引け」
寝ているところに バナナや桃の缶詰め、パイナップル、
お粥を作って食べさせていました。
二女の姉はそんなに高い熱ではないですが、それでも大変な騒ぎです。
枕元に食事が運ばれて、水枕も頻繁に替えてくれて、看病していました。
食事は来ない
それとは違い私が寝込んでいるときには
夜 夕食の頃私が部屋から出ていかない事があると
「ご飯は?」
と母から声がかかりますが、「寝てるからいらない、」というと「そう」と言って そのまま夕食は食べられません。
「時々熱があるの?」とは聞いてきますが、バナナも桃の缶詰めもパイナップルも出ては来ません。
歯が痛いのに
高熱が出るのは時々でしたが、小さい時から虫歯の多かった私は
よく歯が痛くて夜も眠れない日が多かったのです。
歯磨きの管理も家庭の中でほとんどしてもらえなかったためか、乳歯は早い時期に虫歯で抜けてしまい、
直ぐに歯医者に行っていれば、何でもなかったのかもしれませんが、ようやく生えてきた永久歯も 虫歯が多く、中学の頃にはあちこち虫歯だらけでした。
歯が痛くて 薬では治らずに、放置。
毎日・毎晩のたうち回るような痛みで苦しかったのですが、熱を出しても放置されていたせいか、じっとひとりで耐えるのは慣れていました。
そのうちに歯茎が腫れて 膿がたまり、その膿を自分で出しての日々。
顔の頬っぺたが時々歯の痛みと膿がたまって腫れるのです。
ようやく歯医者に行かしてもらった時にはかなりひどい状況でした。
歯医者のお金は自分で稼ぐ
そんな虫歯だらけの中、
歯医者に行きたいと何度かお願いしたことがあり、数回行きましたが、お金がないからと途中になり、
さらに セラミックの白い歯を入れることができなかったので 銀の歯が入り、それが笑うと見えるためにまたいじめの矛先になったのです。
なかなか 治療を続けることはできず、母が父に内緒でお金を出してくれたこともありましたが、歯医者にかかる時間と費用が大きすぎて、やはり途中で諦めました。
高校に入ってアルバイトを始め、お金を貯めて歯医者に行ったのです。
歯茎はボロボロ、もう少しで膿が腐り、骨を削らなくてはいけない状況までなっていたのです。
今でもその時が原因で歯の治療は続いています。
経験が自分を強く
子供の高熱は脳炎なども引き起こすこともあるので通常ならばすぐに病院。
ですが私の様な子供の場合それはなかなか難しいです。
我慢強く
高熱もそうですが、虫歯に耐え抜いたこともあり、じっと我慢の子でいることになれてしまったか?
大概の事では痛いとかいう事はない大人になりました。
自営業を始めてから手を骨折して美容室の営業どうしようと思いましたが、
ギブスを取り外し可能なものにしてもらい、お客様の接客の際にはギブスを外して、シャンプー・カット・パーマ・ヘアカラー全てこなしました。
完治するまで、完治してからもその時私が骨折していたことはお客様は知らなかったのです。
痛いのは自分だけですから。
見た目では痛いのは分からないしそれを理由に仕事を休むことはしたくなかった。
ですから 自分の体調不良の為で休むことななかったです。
弱音は吐かない
何か辛いことがあってもその当時誰にも辛いといったことがなく、というか言う人がいなかった。
本当はそれを相談できる友達や、身内がいればいいのでしょうけれど、いないものは仕方がない。
弱音を言っても仕方ないので、そんなときには何か別の事に打ち込んで 何の弱音を吐こうと思ったのか?忘れてしまうのです。
最近は 弱音を吐く前に 親しい方にやんわりと、なんとなく ちょっと気持ちが弱ってる。とか悩み相談まではいかなくても 息抜きしたいからと食事に行くとか。
何かしら自分のなかでもやもやせず、ガス抜きすることにしているのです。結構いいものです。
病気に強く
お陰様で 病気もほとんどなく
小学校のころからの 高熱の経験で少しの事では驚くことはなく、
今も年に1度くらい 高熱を出しますが、高熱に慣れました。 今では39度くらいでは 「学校へ行ってダメなら帰って来なさい」という母の言葉を思い出して その位の熱では仕事しています。
強くなるものですね。
しかし健康は大切です。体調管理はしましょう。